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坂の上から
 
『坂の上の雲』の放送にあわせて、8000系のラッピング列車が走っています。
 
ここのところ毎日のように仕業に就いているので、大浦あたりで狙う予定でしたが、
休みの時に限って雨だったり、検査落ちだったり、腹痛で出動出来なかったりしたせいで、
走行開始から半月程経っているにも関わらず、写真撮れてませぬ....(´Д⊂
 



『坂の上の雲』といえば司馬遼太郎ですが、『坂の上の雲』で盛り上がる松山に居ながら、
明治は明るくて昭和は暗いのか...という、いわゆる「司馬史観」について立ち止まって考えてしまうのは、
やはり近代史を6年間勉強した人間の性なのでしょうかねぇ...?
 
歴史観というものは、E.H.カーを引用するならば「現在と過去との対話」であり、
「歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程」です。
歴史を観る目は「選択」と「解釈」にほかならない以上、
「現在」に生きる歴史家の問題意識・視点と切り離すことができないものです。
司馬も、史観は歴史を掘り返す「土木機械」に過ぎないと言っているように、
史観とはツールに過ぎませんし、ツールを捨てて手で掘ったところで、手堀人の「選択」と「解釈」からは逃れられません。
そして、その「選択」と「解釈」自体を後世の者が読み取ろうとすることもまた、
歴史というものを考えていくにあたっては必須事項ですし、その人が生きた時代を理解する為に必要なことです。
 
 
司馬史観を批判する際に日本近代史を「単純化」しているという言い方がなされますが、
ドラマ『坂の上の雲』を観るにあたっては、映像(ドラマ)故に、より「単純化」されているという点も意識せねばならないでしょう。
映像では表現しきれない司馬の史観・史点(視点)を意識しつつ、
いわゆる「司馬史観」なるものや、それにまつわる議論が生まれた背景というものを考えていくと面白いかもしれません。
 
そもそも、「なぜ今、映像化するんだ」ということも含めて。
 

| 誰たろう | 00:04 | 日記(絵なし) | web拍手 | To TOP△ |

 
  
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